解析の記事を読んでいると、よく「悪名高いε-δ論法」などといったことが書かれていますが、私はそんなに悪名高いとは思っていません。
よく考えたら、ごくごく普通の考え方です。
でも、文章でかくと、なんだか小難しいというか、めんどくさそうな考え方に見えます。
そして、考え方は簡単ですが、計算するのは甚だ困難なことが多いです。
だから、嫌われているのかもしれません。
なぜ計算が困難になるのかといえば、それは不等式の計算だからと言えます。
これは、致し方ないことだと思います。
不等式の証明は、等式の証明に比べれば、相当に技巧的な技が要求されます。
これも悪名高いという所以になっているのかもしれません。
εを導入せざるを得ない理由
εを導入する理由を一言で言うとするなら、無限小を使わないためです。
本当は、無限小という数をつかって解析を行いたいのですが、無限小という実数は存在しないため、やむをえず、εという無限小にみたてた小さな実数で考えることにしたのです。
どのくらい小さな実数を考えればよいのかはその時々で変わります。
したがって、εは、任意の正の実数であればどんなに小さな数でもよいこにとしてあります。
「任意のε」とは、「どんなに小さな実数をもってきても」という意味です。
実用的な世界では、任意のεは1億分の1ぐらい小さければ十分です。
コンピュータでの計算を考えれば、工学的な計算は8桁ぐらいで十分間に合っています。物理でも8桁ぐらいの数で計算すれば間に合います。
計算機は、10桁程度の仮数部と指数部の組み合わせの表現で十分事足りてるじゃないですか。
でも、数学の世界では思考の世界ですから、10桁どころか、1000桁で計算しても有限なかぎりはダメなわけです。そこで極めて小さな数をεとして考えることにしたわけです。
εは仮に作った無限小です。
ですから、εより小さな正の実数はゼロとみなされます。と断言したいところですが、このことは口が裂けても言えません。なぜなら、εは無限小ではないからです。
εは本物の無限小と似てはいますが、根本は実数ですから、無限小ではありません。
無限小ではないかわりに、通常の実数として計算をすることができます。ここがミソです。εをつかった式は計算ができるので大きさがわかります。その計算結果がεより小さかったらそれはゼロとみなして論理展開することができるのです。
εは計算する上では、測定値の誤算と考えてもよいかもしれません。
ε-δをやめたらもっとめんどくなる
ε-δ論法は、連続の証明ででてきます。
εは誤差です。誤差の範囲に収まるかを考えるのは、確かに面倒で、場合によっては困難なこともあります。
そのほとんどがある不等式の証明でつまづきます。
無限小がなければ、不等式を等式で考えられそうです。等しいものだけをつなげていく等式のほうが、大きいとか小さいを考えるよりも考えやすいような気がします。
そこで、実数を拡大し、無限小を含んだ超実数というものを作っり、その無限小を使って解析する考え方があります。
ところが、ここで大問題が発生します無限小を定義することが相当に難しいのです。
あーでもない、こーでもないと試行錯誤した末に、まともな形になったのがロビンソンが作った超実数体です。
しかし、この超実数体、めちゃくちゃ理解しにくいです。超フィルターとか、無限が絡んでわけのわからない集合論を使う訳ですから、当然ではあるのですが、一番わかりにくいと思うのは、具体的な計算がイメージできないというところにあると思います。
そもそも、なんとなくイメージできている実数についても、「実数とはなにか?」という問題ですら、結構なハードルがあります。
有限だと簡単なのに、無限がはいると訳のわからない集合論、この集合論を克服しなければ、超実数はとても手に負えないものになっています。