数学では、ゼロで割ることが許されていません。
いや、正確にいうと、数学はゼロで割ることを許さない数の体系で考える事がほとんどです。
その理由はいろいろと考えられますが、追求していくとある本質にたどり着きます。
その本質とは、分配の法則にあるのですが、この記事ではそれについて詳しく説明します。
ゼロで割る事が許されないとはどういうことか
ゼロで割ることが許されないとは、
3÷0のような計算ができないという意味です。
小学校の算数の問題では、このような問題がでることもあるそうですが、数学ではこの式に意味がありません。
便宜的に\(3÷0\)を0とする算法も考えられなくはないですが、このような定義は数学的ではありません。
さらに一般的にゼロで割ることが許されないとは、分数の分母に0を使うことができないという意味でもあります。
例えば、\(\displaystyle \frac{3}{0}\)のように分母が\(0\)の分数に見える数は、数学では取り扱いません。
分母が0の分数は定義されていないからです。
もし、文字式で例えば、\(\displaystyle \frac{1}{x}\)という式があったとしますと、分母に0がくる分数は数として意味をなさないため、この分数の形をした文字式は、暗黙に\(x≠0\)という条件がついています。
ゼロで割ることが許されないとは、分数の分母に0を使うことができないという意味で言う人もいます。
また、さらにいうと、ゼロで割ることが許されないというのは、ゼロで通分や約分することができないという意味でもあります。
たとえば、\(\displaystyle \frac{1}{2}=\frac{5}{10}\)という等式がありますが、これが通分や約分という計算です。
\(\displaystyle \frac{1}{2}\)の分母を\(10\)にするのが通分で、\(\displaystyle \frac{5}{10}\)が\(\displaystyle \frac{1}{2}\)と同じというのは、\(5\)で約分した結果だからです。
分数の分母と分子に同じ数を掛けても、割っても、分数の値は変わらないというのが分数の性質ですから、通分や約分を活用して分数計算を行います。
通常はゼロで割ることを許していないので、ゼロで約分することは許されません。
また、分母・分子にゼロを掛けるということは、分母にゼロを許してしまうことになってしまうため、通分で分母をゼロにすることも許されていません。
ゼロで割ることがゆるされないという事は、ゼロで約分することができないという事でもあり、0で通分することができないという意味でもあります。
ゼロで割ることができない理由
ゼロで割ることが許されないのは、仮にゼロで割ることを許したとしても、いろいろな不都合が生じるからです。
ゼロで割ることが定義されていないので、実際にゼロで割ることを論じることに意味はありませんが、仮にゼロで割る事を定義したらどうなるのかを論じる事はできます。
結論から言うと、ゼロで割る事をどういう風に定義しても、不都合ばかりが生じてしまいます。その不都合は、ゼロで割ること以上に深刻な事ばかりなので、無理してゼロで割ることを考えないのです。
ゼロ割りができたら、ゼロで約分できてしまう
約分とは、分母と分子を同じ数で割ることです。
ゼロで割り算できるということは、ゼロで約分することができることになります。
例えば、\(\displaystyle \frac{2}{3}=\frac{2÷0}{3÷0}\)となるわけです。
\(2÷0\)や\(3÷0\)を仮に\(0\)と計算することと定義すると、
\(\displaystyle \frac{2}{3}=\frac{0}{0}\)です。
また、同様のゼロの約分によって、
\(\displaystyle \frac{3}{2}=\frac{0}{0}\)でもあるわけです。
推移率を使うと、
\(\displaystyle \frac{2}{3}=\frac{0}{0}=\frac{3}{2}\)でもあるわけです。
これは不都合です。
この原因は、分母がゼロになってしまったからです。
これでは、全ての分数が\(\displaystyle \frac{0}{0}\)と等しくなってしまいます。
こういった数の体系がないことはないのですが、それは味気ないものです。
ゼロ割が可能なら2=1となってしまう
先に、ゼロで割ることを許すと、全ての分数が\(\displaystyle \frac{0}{0}\)に等しくなる例をだしました。これは、\(\displaystyle \frac{2}{1}=\frac{1}{1}\)であることも含んでいるわけですから、これは\(2=1\)の世界です。
先ほどの例では、\(2÷0=0\)等の計算例を使っていましたが、この前提がなくても\(2=1\)となってしまう有名な例があります。
\(a=b\) とします。
この両辺に\(a\) を足すと
\(2a=a + b\)
両辺から \(2b\) を引くと
\(2a-2b=a+b-2b\)
\(2(a-b)=a-b\)
両辺を\((a-b)\) で割ると
\(2 = 1\)
なんの変哲もない等式\(a=b\)からおかしな式\(2=1\)が導かれてしまいました。
これは不都合です。
原因は、\((a-b)\)で割ったからです。
\(a=b\)としていましたから、\(a-b\)はゼロなんですね。
ゼロで割ったので不都合が生じたわけです。
ゼロ割が可能ならa=bがa=0となってしまう
まず、\(a=b\) とします。
この両辺に \(a\) をかけると
\(a^2=ab\)
両辺から \(b^2\)を引くと
\(a^2-b^2=ab-b^2\)
因数分解して
\((a+b)(a-b)=b(a-b)\)
両辺を\((a-b)\) で割ると
\(a+b=b\)
両辺から\(b\)を引いて
\(a=0\)
なんと、\(a=b\)から\(a=0\)が導かれてしまいました。
これは不都合です。
不都合の原因は、\((a-b)\)で割ったことです。
\(a=b\)としていましたから、\(a-b\)はゼロなんですね。
ゼロで割ったので不都合が生じたわけです。
ここで紹介した例は有名な例ですが、こうなる原理がわかってしまえば、似たような例は山ほど作れます。
\((適当な式1)×ゼロ=(適当な式2)×ゼロ\)という等式から、
\((適当な式1)=(適当な式2)\)に帰着すると変な結果がいくらでもできます。
割るという事はどういうことか
そもそも割り算とは、分割する演算です。
例えば、20人を3グループに分けたときの1グループの人数を求めるときに、\(20÷3=6あまり2\)のように計算するのが小学校で最初に習う割り算です。
数学では、割り算を掛け算の逆演算と考え、答えに余りがでないようにし、さらには小数の0.5で割るとか、マイナスの数で割るとか、自然数でなくても割り算ができるように割り算の概念を拡張しました。
ですから、割り算は数学の世界では、逆元の掛け算として定義されます。
割り算を逆元の掛け算として定義することで、割り算の自然数以外の数に対しても割り算ができるようになるからです。唯一の例外ゼロでの割り算を除いて。
ゼロの逆元は存在しないため、ゼロの割り算はできないという結論に至るのですが、割り算の原点に遡り、ゼロの割り算の姿をもう少し掘り下げてみます。
先ほどの例で3で割るというのは、3分割(3等分)したときの、個数と考えましたが、視点をかえりと次のようにも考えることができます。
20を3で割るというのは、20から3が何回引けるかという事です。
20-3=17 (1回引けた)
17-3=14(2回引けた)
14-3=11(3回引けた)
11-3=8(4回引けた)
8-3=5(5回引けた)
5-3=2(6回引けた)
2-3=・・・もう引けない(余り)
となって、20 から3は6回引くことができます。
したがって、20÷3の答えが6であることがわかりました。
このように、割り算は何回引けるのかを数えることで計算することができます。
それでは、このやり方で20を0で割ってみます。
すると、
20-0=20 (1回引けた)
20-0=20 (2回引けた)
・・・
20から0を引いても20です。減りません。
つまり、20から0は何度でも、何回でも引くことができます。
この操作は終わることがありませんから、20はゼロで割ることができない(計算が終わらない)という事になります。
20からは何度でも0を引くことができるので、これを無限回引くことができるとみなすと、20÷0は無限というのが妥当とも考えられます。
実際、そのように考える人もいますが、無限というのは数ではないので、これは感覚的な結論と言えます。
また、この考え方は、負の数や小数などについても触れていませんから厳密性に欠けています。
そうはいっても、この考え方をもうすこし工夫していく事で、割り算の定義に仕上げることは可能です。
まとめ
- ゼロで割るとは、分母を0にするということである。
- 数学で割り算とは、逆元を掛けるという意味で使われる。
- ゼロには逆元が存在しない。
- ゼロで割ることを許すといろいろな不都合が生じる。
- 割り算の原点に振り返ってゼロで割ることを考えても答えは見いだせない。
- ゼロで割った答えを無限とみなす考え方があるが、これは定義にはなりえない。